スクラムフェス三河2026に参加しました!

はじめに

スクラムフェス三河に参加しました。

www.scrumfestmikawa.org

こちらの感想を書いていきたいと思います。

1日目

行きの新幹線では、詩を書きました。

sizu.me

到着後、タスマニアデビ男と三河の練り物を堪能し、emCAMPUSの図書館でゆっくりしてからいきました。

私もタスマニアデビ男も図書館が大好きなのですが、めちゃくちゃ良かったです。

 

現地ではスポンサーブースや会場の準備がされていましたが、受付して入りました。

 

早速転職ドラフトさんのスポンサーブースにちょっかいをかけに行ったのですが、

「転職ドラフトのサービスがいくつかあるのですが、使ったことありますか?」

と聞かれたので、

「はい、3つともお世話になってます」

と伝えました。今後の持ちネタにしたいなと思います。

 

キーノートについては、YYSystem開発者の中村さんの話をお聞きしました。

 

気づきましたか?

このブログのURLはyy_world、私のイニシャルはYY、そして私はSystem Fixerです。

まるで私の開発者を見ているかと思えるような気持ちになりました。

 

懇親会ではORSCの先輩と喋ったりしました。

お酒の量はかなり控えるようにしているので、飲まなかったのですが、ジンジャエールをたらふく飲んだりしました。

 

太りたくなかったのと、どうせ次の日も飲むこと、そしてホテルでタスマニアデビ男が待っているので、2次会にいきませんでした。

以下の詩を書きました。

sizu.me

2日目

ここからは時系列順に書いていこう。

「正解」を探して迷子になった新卒が、1ヶ月のスクラム研修で気づいた「経験主義」の本質

ログラスのささがわさんの発表でした。

「新卒研修で起こったことと学んだこと」「新卒だからこうなった」という論調で話しておられましたが、実際の現場やシニアのエンジニアでも普通に起きることばかりで、そのギャップに笑ってしまいました。

研修で起きることは、すべて現場でも起きますよ。

 

この発表のなかで、意見を異にする人々がお互いの価値観を知るようになった話は、プロセスワークにおけるロールスイッチを彷彿とさせ、とても興味深かったです。

もし私がそこにいたら、その感覚を紐解いて、その後の対立においても再現性がある対応できるようにサポートしてあげたいなあと思ったのでした。

 

ささがわさんとはセッション後や飲み会でもお話ししたのですが、この先10年後に我々と我々を取り巻く世界がどうなってるか、楽しみだなあとしみじみと思うのでした。

「理解」より先に「体験」を設計する ~アジャイル初学者向けスクラム体験ワークの設計と実践~

以前からプロポーザルではお見かけしていて、ずっと話したいと思っていたHikariさんの発表でした。

そういやこれも新人教育的な文脈なので、ささがわさんと続き物なんだろうな。

 

インターンという状況の中で、学生に対してどのようにプレゼンスを発揮して、どんな体験をしてもらうか、ということの工夫が随所に見られて、興味深いセッションでした。

私自身はインターンに関わったことがないのですが、今後関わることがあれば参考にしたいなあと思いました。

しかし、私が今後会社と関わること、あるのだろうか。。

 

この後すぐ私のセッションがあったので、Hikariさんには「プロポーザル好きです!」ってだけ言って去るという変態行動をかまして離脱しました。

その後、お声がけする機会があっていろいろ話せてよかったです。

ソフトウェアテストを検査しよう

俺のセッションです。

実は、水曜日の朝に祖母が亡くなっていまして、告別式のスタートと同じ時間に私の発表でした。

その日のうちにちゃんとお別れ済ましたのと、祖母はセッションを潰すくらいなら葬式来るなって言うだろうということで、ニュートラルな気持ちで、でも何かを感じながら発表していました。

ちなみにその件の詩はこれ。

sizu.me

発表について、「抽象的でわかりづらい」というコメントがあったのですが、ごめんねと思いました。ごめんね。

こういう機会は滅多にないだろうと思って、少し早口でセッションを進めて、最後に話すべきことを話しました。

エンジニアとQAエンジニアを繋いでくれた振る舞い駆動開発(Behaviour-Driven Development)

うーたんさんのセッションです。

多分これもテスト繋がりで配置してくれたんだな。

この話を聞いていて、語り口や視点は違うけど、私と同じような主張をしていて嬉しい気持ちになりました。

 

実は、うーたんさんにはプロポーザルを見た後に、個人的にDMをしていて少しだけ意見を交わしたりしていました。

本人がどんな顔かわからなかったので、実際にセッションを見るまで誰かわからなかったのですが、ここで出会えてよかったです。

 

昼飯は手筒花火弁当を2人で食べて、アツい話を1時間くらいしました。

めちゃくちゃ楽しい思い出だった。

ビルを燃やしていた私に、スクラムはどう見えたか?

かすみさんの発表でした。

製造業を体験して、特に製品の試験の経験がある中で、率直な言葉でスクラムへの違和感を発表されていることに、すごく共感しました。

初登壇とおっしゃってたと思うのですが、緊張してる感じしなくてすごいなーと思ってたら、「今から休憩しますね」と言ってから1秒くらいしか休憩しなかったのが面白かったです。

 

最後にはスクラムを肯定的に表現されていましたが、私はこの製造業の価値観から捉える違和感は、文脈の違いこそあれど、ある種の本質を捉えていると考えています。

製品を世の中に出すことのリスクを軽視して、安易に"仮説検証のためのリリース"をしてしまうことに違和感を持っていますし、自分自身もそうなりうると考えています。

そんな気持ちになりました。

組織の暗黙知をアルゴリズムとして扱う

きょんさんのワークショップでした。

「行くよ行くよ」といいつつ、行けなかったので、やっといけて嬉しいです。

今回nacoは来ないのかーと思っていたのですが、机に居たので、嬉しくなり、私も黒いパーカーを着て真っ黒になりました。

人間の意思決定も確率的であり、AIと同様、あるいはAIよりも不確かなものであるということを認識しました。

ただ、これを「気づきを得られました!」だと、因果ループ図やPFDなどの他の手法のワークショップと変わらないと思いました。

で、おそらくきょんさんが見ているのはもっと先だと思っています。

 

組織の意思決定や行われることを、いかに再現性を持ち、それをデジタルの技術によって加速させ、新しいパラダイムにしていくか。

そのレベルに達することができるように、私も私の持ち場で頑張りたいと思ったのでした。

飲み会

結局日付変わるまで飲み会しちゃった。

気候や街の雰囲気もあって、三河の飲み会はめちゃくちゃ楽しかったです。

 

sizu.me

総括して

スクラムフェス三河は、あまり多くの人と話せませんでした。

他方、今までになかったくらい深い対話をたくさんできました。

とにかくよかったな。

 

私がスクラムフェス三河に行けたのは採択していただけたからなのですが、

それ以上に私はあの場にいる必然性や意味というのを感じました。

 

私がいて迷惑という人がいればそれでいいと思っています。

※なお、そんなこと言ってる人はテストのイベント以外で見たことない

 

でも、たとえ少数であっても、私にとって「この人とこの時間この場所に一緒にいてよかった」と思えること、そういう体験ができて本当によかったと思います。

 

sizu.me

 

参加者のみなさん、スポンサーのみなさん、スタッフのみなさん、というか全ての人々

本当にありがとうございました!

wacate2021夏に参加しました!

この記事は過去の記事のリバイバルです。

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題名通りです。

2021年冬にもwacateが開催されるみたいです。
初学者の方で参加を迷ってる方がいらっしゃったら、少しでも後押ししたり踏みとどまらせたりできるかと思って後悔します。

2021年6月にwacate2021夏に参加しました。

wacateとはソフトウェアテストに関するワークショップを含んだ勉強会的な何かです。

毎年6月と12月に開催されてます。
6月はひとつのテーマを扱い、12月はさまざまなテーマを扱うらしいです。
2日間にわたって同じように集まったソフトウェテストを学びたがる人間たちと講義を受けたりワークショップを実施したりします。

2019年くらいには関東で人間が集まって開催していましたが、2021年夏に関しては感染症の事情もあり、ZOOMやslackを使ってリモートで開催していました。
地方在住としてはありがたかったです。

2021年夏は「テスト技法を作ろう」的なテーマなので、(参加費も安かったし)参加してみました。

進め方としては講義を受ける、ワークショップをする…を繰り返す感じです。

私が参加した2021年夏では、wacateリピーターやソフトウェアテスト界隈にどっぷり浸かっている人は参加しておらず、初学者の方が多い印象でした。

講義もJSTQBやJCSQEなどの知識を持っていなくてもギリギリついていけるくらいのレベルで進むので、ソフトウェアテストについてこれから勉強しよう!という方でも他の参加者の方の迷惑になることはないと思います。

強いていうならばなんらかのエピソードトークできるくらいの実務経験があれば楽しくおしゃべりできると思います。

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2026年6月末

このとき、JaSST nanoでお世話になってるマイメンICOさんと同じグループだったの感慨深いなあ。

あと、死ぬまで私が敵わないであろう、社外の同期、Naoki Kojima氏もいた覚えがある。

当時は私みたいな雑魚が話しかけていいかわからなくてオロオロしてたなあ。

歯列矯正(インビザライン)からQAを考える

はじめに

参考

note.com

昨日からインビザラインを始めました。

10代から20代の頃は不揃いの歯並びが嫌でした。モテたいからです。

一方、最近の私は今の歯並びを気に入っていました。なんでだろうね。

 

なので、歯列矯正には興味なかったのですが、先日、歯科ドックに行った時、

「歯列矯正しないと、あんたの歯死ぬわよ」(意訳)を言われ、せっかくの機会だからやろうと決めたのでした。

歯列矯正の違和感

そういうわけで、今、マウスピースをはめています。

インビザラインは20個くらいあるマウスピースを長い期間かけて付け替えていく歯列矯正の方法です。

私の歯列の動きを予測した上で、3Dプリンタの技術を使って、たくさんマウスピースを作るみたいです。すごいですね。

 

インビザラインは歯の様子をスマホで撮って医者に送ります。

そうしながら、少しづつ調整していくのです。

 

今はめているのですが、強い痛みはないです。

一方で、ワイヤーの歯列矯正ほどじゃないにせよ、違和感があります。

 

とにかく口の肉に当たるし、私の場合はゴムもはめているので、発音もちょっとしにくいです。

そもそもマウスピースをはめている間は食事をする用途としての口は使えません。

かわいいですね。

QAがいるという違和感

私は一人目QA、あるいは品質保証(あるいはアジャイル)荒野の地に立つことが多いのです。

これは、元々その場で必死に働いてきた人々が感じる違和感と同じではないかと思いました。

元々私は、「痛みを伴うQA」として動くことが多かったです。

「〇〇が起こっているのは〇〇という仕組みで、〇〇が原因だからだ。そのために〇〇をしよう」

などです。

これは相手に痛みとしてぶつけていると今は感じています。

今も、必要な相手にはそうすることがあります。

 

これは、私の歯科ドックの先生と同様に「このままでは大きなリスクを顕在化してしまう」あるいは「持続可能なものづくりではない」という悲観的な予測に成り立っています。

 

一方で、最近はインビザラインのように、徐々に痛みに慣れていく方法に挑戦しています。

気づいたことがあります。

一人目QAを求めるほとんどの組織(集団)、人は、品質や自分の働き方の"悪さ"について戦う準備ができていないことです。

これは、イマココで戦っているからこそ、その余裕がないという、構造の問題だと思っています。

 

だから私は、インビザラインのように、徐々に、許容できる範囲の痛みを調整しながら、少しずつありたい姿を目指すことを目指しています。

インビザラインのQA活動の新しい仕組みを入れる段階は、違和感を感じたり、アウトプット量も落ちるかもしれません。

その中では日々の様子を観察し、チームの現状を定期的に確認しながら、少しずつやり方を調整していく。アジャイルでございますわね。

 

でもいつか、これらの違和感や痛みが、長期的に自分の歯のように、ケイパビリティを持ち続けることを目指します。

 

この挑戦は本当に成就するのか、それともただの思い上がりの徒労なのか。

まだわからないです。

 

いつか、インビザラインのようにいけてるQAになりたいと思うのでした。

幸せについてほんの少しだけ考えてみた

はじめに

箱根で飲み会があって、「あなたの幸せはなんですか」という質問が友人のギャルからありました。

それについて考えてみたので文章にしてみます。

幸せとは

私はかつて、子供の頃イメージしていた壮大な人生プランからは多少見劣りはすると思っています。

私は音楽家になるつもりでした。

note.com

今頃ではロバートフリップ的生活をしているはずでした。

今の人生が普通かといえば、少し外れているとは思いつつも、常識的なこれまでだと思ったりしました。

幸せのない生き方

「それとなく流れている日々のそこかしこに幸せがあるか」

というと、私はライブ感を持って感じたことはありません。

 

私は自覚的に"幸せ"に無自覚でした。

 

つまらないことや嬉しいことを繰り返してトータルではゼロになるという意見があります。

一方で、人生はオセロでたとえ黒が並んでも白で挟めば綺麗にひっくり返るという意見もあります。

それについてふざけんなって思う人もいるみたいです。

YouTube

 

私は生き始めることはマイナスから始まります。

マイナスの状態から、どれだけ白を重ねても、盤面に並ぶことのない感覚を持っています。

そして、白にひっくり返るような最高の瞬間も、すでにその裏にある黒が私の視界の端にチラついています。

そんな自分を哀れだと思う自分もいます。

 

居心地の悪さについても最近考えることがあります。

生きている限り、意識がある限り、「違和感」の片鱗が常に立ち現れるのを感じています。

 

これらを総合すると、私は、自分自身の幸せについて、「いまここ」に集中できないマインドセットを持っているのでした。

チャレンジばかりの人生

そういった空っぽで幸せのない人生が不幸かというとそうでもないとも思っています。

ギャルがこういった質問もしていました。

 

「チャレンジしたことはなんですか」

 

私はチャレンジばかりの人生だと思いました。

私は生きていくなかで小さなチャレンジと試行錯誤を繰り返して生きている感覚があります。

 

例えば、朝の6時に起きて謎のブログを書くことはチャレンジです。

面識のない人が話しているテーブルにそっと入ることもチャレンジです。

 

これらの行動は感覚的に、違和感があり、居心地の悪さを伴っているとも思います。

チャレンジによって生まれる多様な世界

この2つの質問自体は私が世界に感じている違和感と居心地の悪さを表出させました。

いまここにあるチャレンジと複数の世界

私は今、隣に座った人に「おはようございます」と言うことにすら、チャレンジを感じています。

挨拶という最も素朴な方法で、この場は安全かどうか、そして自分の存在が承認されているかどうかを試そうとしているからです。

挨拶が返ってくる世界と返ってこない世界が同時に存在し、返ってきた瞬間(今、返ってきました)それはある種安全方向の世界として確定します。

一方で今、挨拶が返ってこなかった世界も私のなかでのみ存在しています。

「おはようございます」と言って無視され、私の頭の中では「私の声が小さかったのかな」「私の耳の調子が悪かったのかな」「この人は声に出す元気がなかったのか」「私のことが気に入らないのか」といった様々なことが頭を巡ります。

そしてこの世界の居心地の悪さを噛み締めていました。

挨拶が返ってこなかった世界の居心地の悪さを噛み締める一方で、挨拶が返ってきた世界が現実です。

語られない世界

この二つが同時に存在することは、ある種オセロのようにも感じます。表裏が存在し、ふとした瞬間にひっくり返ったりする。

多分、白にも黒にもならないグレーの世界も存在するような気がします。

私はここで「ミスターノーバディ」という映画を思い出します。

https://press.moviewalker.jp/mv47305/

この映画の解釈は様々です。

この映画に対して、私は全てを肯定する意見はあまり好きではありません。

ただ、多面性がそこにあるという感覚はすごく共感します。

それが何をもたらすかということも。

統合

かつて夢見た壮大な人生プランのなかに私はおらず、幸せのライブ感にも無自覚です。

しかし、挨拶ひとつで様々な世界の可能性を頭に巡らせ、その存在をいまここで噛み締めています。これを冷笑する自分、この文章を書いている自分をまた冷笑する自分。

YouTube

すごく歪な感じがしますが、私なりの「いまここ」への向き合い方な気もしました。

ここまで考えが巡った時、「幸せがないこと」と「チャレンジがあること」は、綺麗に統合される感覚がありました。

 

「こんなにもチャレンジが溢れる人生は幸せだ」

 

別にスピってるわけじゃないんだけど、確かに感じました。

YouTube

違和感のインフレーション #miwaテスト実況

はじめに

miwa719.hatenablog.com

この記事に対するアンサーとして、個人的なアイデアが浮かんだので書いてみます。

違和感のつかまえかた

私がテスターとしてのキャリアを始めた頃、miwaさんの「違和感のつかまえかた」というブログを拝見しました。

miwa719.hatenablog.com

テスター1年目の当時は正直よくわからなかったのですが、今ではこの感覚はよくわかります。

私は自分自身を「プロのテスター」と自称することがあります。

これは自分自身が持つ責任を表現する意図です。

そして、同時に、ソフトウェアの悪さを発見することに対して、プロダクトによらず発見することができる自信があるからです。

 

その根底にはmiwaさんがおっしゃる「違和感のつかまえかた」に通じるもの、というかすでにmiwaさんがすべて言語化しているようなものを、私自身も一部分持っているからだと思っています。

違和感のインフレーション

私はこの「違和感」について、新しい比喩を用いて表現しようとしました。

真っ先に思いついたのは「ビッグバン」です。その中で「インフレーション」という言葉がわかりやすいと思ってこの言葉にしました。

実際の物理学的な用語定義とは異なります。

テスト実行する時のダイナミックな違和感

私は違和感をつかまえる時、その認知のダイナミックさを感じるときがあります。

これはmiwaさんが資料の中で言及されている、風邪のメタファー、その中でもウイルスの増殖と同じようなものかもしれません。

 

小さな、微少なたったひとつの違和感が、徐々に増えていきそれがあるタイミングで指数関数的に増殖します。

これがある閾値を超え、確信に変わった時に、違和感は「期待結果」と「事実」を伴って立ち現れ、それをバグとして言語化します。

 

これは私は宇宙が発生した時の動きに近いと思っています。

宇宙は、ビッグバン後の10マイナスすごい数乗の極めて短い間に、凄まじい膨張を始めました。

 

私は宇宙の誕生ほど短い期間ではないですが、テストをしているときに、ほんの数秒---あるいは1秒に満たないかもしれません---「違和感が指数関数的に膨らんでいく」ことを感じることがあります。

違和感がインフレする

私はこれを今「違和感のインフレーション」と名付けました。

例えば私の中で違和感がインフレーションするとき、以下のようなことが起こります。

  1. 現実を認知する
  2. 言語化できないエネルギーが生まれる
  3. それがある種不快、あるいは好奇心であることに気づく
  4. その感情と現実を比較する
  5. 違和感であることに気づく

これらのプロセスにおいて、決して単一の活動ではなく、過去のパターン認識や環境・状況などの要因によって、何かと何かが結合するような、それこそ宇宙の誕生のようなものを感じています。

インフレーションのスピードに言語化は間に合わない

このインフレーションにおいて、多くの場合は言語化は間に合わないと考えています。

特に2番は創造的なエネルギーであり、これが違和感として言語化された瞬間、酸素が燃焼し、火に変わっていくような変換が起こる感覚を持っています。

そう考えるとプラズマのようだと考えることもできますね。

 

正直、何言ってるかわからないかもしれないです。

私も、1年前まではわからなかったでしょう。すべてを言語化できると考えてしまうからです。

 

でも今は違う現実を見ています。

創造的な何かが起こる時、---もちろん創造性はプログラマーやプロダクトマネージャー、デザイナーだけでなくテスターにも起こります---そこには言葉にできない何かから生まれるということです。

テストを生成的の起点と考える

speakerdeck.com

nacoは「テストも品質も単なる結果ではなくそれ自体が生成の起点である」と述べています。

 

私はテスト実行を通して、テスター自身から創造性が生まれる瞬間、それが違和感として結実するまでのプロセス、そしてその場にいることにより、場にどのような生命力が生まれるかに興味があります。

 

「違和感のインフレーション」これが私以外にあるとしたら、どんなふうに生まれるかを知りたいです。

そしてそれが生まれた時、その場がどうなっていくかを知りたいです。

 

ここまで書いて思いついた言葉があります。

「テスト宇宙」

 

テスト宇宙はマルチユニバースな構造かもしれませんね。

 

読者のみなさんのテスト宇宙を、その構造を知れることを、私は楽しみにお待ちしています。

スクフェス新潟2026で発表しました。

スクフェス新潟で発表した

www.docswell.com

感想

スクラムフェス新潟で発表してきました。

直前の発表が超よかったのもあって、発表前15分前にはすごく緊張していたのですが、10分前にはその緊張は消え失せていました。

 

すでにスピーカーモードにしていたのですが、事前のじゅんぺいさんとの会話中に、私が用意していた笑いドコロのカンペをガン見されていて、超はずかしかったです。

 

私はこの発表をしようと思ったきっかけは以下の2点に集約されると思います。

  • 「QAエンジニア」がミドル層以上のエンジニアに対して、本来品質保証への関心を持っているにも関わらず、ジュニア層に行うような「ティーチング」の関わりをしてしまうこと、それによる”品質保証活動"の分断
  • その手段としてEM文脈での”コーチング”の技術のみを使ってしまうこと
    • これは品質保証のドーナツ化の再現でもある

そのため、このような強めの発表となりました。

質問に対するアンサー

Q.明日から何をすればいい?

難しい質問です。

私はコーチングをマインドセットなしに提供することの危うさを危惧してこの発表をしました。

一方で、単純に「コーチングスクールについて調べろ」と突き放すのも違うと思います。

私はついそう言ってしまいましたが。

 

そんな中で捻り出したのが、「自分に目を向ける」です。

これは支援の話をしてるのになんやねんって感じですが、私が今回伝えたかったことでもあります。

ただ頭で理解できることに執着するのではなく、感じたことや身体に現れたものに思いを馳せることです。

いきなり他者に目を向けるのではなく、まず、自分の脳みそで考えることの隣について目を向けることだと、今は思います。

 

Q.QAがコーチングをするのは難しいのでは?

超難しいです。むしろ、QAという存在自体が、コーチングが大事にする「内発的動機」や「答えはクライアントの中にある」というマインドを否定しうると考えています。

そしてそれは、インプロセスQAがよく標榜する「全員で品質を保証する」という理念を無自覚に達成を困難にするという危惧があります。

これは私自身がそういった失敗をした経験にも起因します。

そんななかで、特にインプロセスQAでありながら"開発者"と"QA"で分断する考えを持つ人がその考えを保ちつつ支援という形で力を発揮するために「コーチング」という技術を提案するのが意図です。

さらに踏み込んで言えば、コーチングが難しいのならば、何かの前提を変えることも考える必要だあると思います。それには痛みが伴うと考えています。

Q.QAが大成するにはコーチングの技術は必須?

必須とは考えないです。

一方、コーチングの技術、あるいはコーチとしてのあり方は仕事だけでなく、人生のさまざまな場面において有用だと考えています。

そしてさまざまな場面に使えるため、レバレッジが効くものだと考えています。

なので、私とルーツを同じくするQAエンジニアの皆さんも、人生を豊かにするために、コーチングを学んでみるのもいいのではないかと考えています。

Q.相手の中に答えがあるだけでなく、コーチ自身の知見を使って支援する形もあるのでは?(意訳)

その通りです。

実際のパーソナルコーチングでは、もちろんクライアントを尊重する前提があるとは言えど、クライアントが達成したいことを後押しする支援のためには、さまざまなリソースを使うべきだと考えています。

今回の発表ではそういったコーチングの性質・ある種の本質について言及せず、「コーチングマインド」をベースに、どのように「あり方」を見直すかという内省を促す意図がありました。

Q.一緒にやっていくという意味ではIメッセージより Weメッセージのほうが有効な場合もあるのでは?

これについては同意します。そして、発表資料の段階では検討できなかった部分でもあります。

その上で、この意見について再検討したところ、やはり「状況による」という注釈が必要だと感じています。

特に、"QAエンジニア"というラベルを持った状態で開発チームにいる場合、私は十分な信頼関係がない状態で安易にWeとしてしまう場合に失敗した経験がありました。

これは私自身が信頼関係の見立てを誤り、小手先のコミュニケーション技術を使ってしまった結果だと思っています。

なので、まず品質保証の専門性を持つ他者としての意見を強調する意図として、Iメッセージを使うことが多かったという経験則になると考えました。

Q.テストや品質に対するリテラシーが低いところに対してはやっぱりティーチングから入るべき?

難しいところですが、すでにプログラミングや運用など、「テスト」や「品質」という言葉で表現されていないがプロフェッショナルとして仕事をしている場合こそコーチングを使った支援が有効だというのが私の考えです。

テスターとしてはまだジュニアで、すでに"プログラマー"としてはミドル以上という状態を想定した場合に、その中にある小さなモチベーションを"品質"に紐づけて生成的なエネルギーに変えうるのでは?というのが私の主張です。

なので、テストや品質に対する知識がなくても、始まりとしてはコーチングは有用だと考えます。

一方で、「そもそもソフトウェア開発がわからない」などのジュニアエンジニアばかりの場合はティーチングが必要な場合もあると思います。ただ、その場合でもおそらくはソフトウェアテストというよりも、ソフトウェアエンジニアリング全般(つまり品質を作り込む方法)をティーチングする中で、テストを組み込むような形になるかと思いました。

ぜんぜん関係ないけど

しーちきさんが参加していることに胸が熱くなった。

今日からエンジニア二年目です。

4月1日になりましたね。

そういうわけで私もエンジニア二年目となりました。

詳しい経緯は以下を参照してください。

yy-world.hatenadiary.com

 

この一年は特に「私はソフトウェアエンジニアです」という発言をすることが多くなりました。

ソフトウェア開発に携わっていない人々と会話することがめちゃくちゃ増えたからです。

それでは私自身、「エンジニアっぽい活動をしたか」というと、実はそうでもありません。

 

とにかく生成AI活用が爆発的に流行った年でしたが、正直言って、「既存のツールを如何にそれっぽく使いこなすか」という域を超えなかったと思っています。

そこには私が「お前はエンジニアにはなれない」と言われた時に目の前にあった壁とは異なるものがあると考えています。

「壁を乗り越える」という努力なしで新たなエンジニアリングのようなものを、それっぽく使っている気がする。そういう危機感があります。

 

一方で、今まで通りコードを手打ちで書いたりするのかというとそうでもないとも思います。

必要なのは、「苦痛(エッジ)を伴う学びをして、自分自身がエンジニアと呼ぶに相応しい経験・蓄積があるか」ということだと思います。

 

この生成AIの波に揉まれて、私自身その感覚を忘れていたように感じています。

 

一年目、早速エンジニアとしての危機感を感じています。

二年目はどうなるでしょうか。

 

不安というよりかは、私はワクワクがあります。