このあたりでそろそろ、nacoが怖い

はじめに

この記事はバキバキQAチャンネルアドベントカレンダー5日目の記事です。

adventar.org

きょんさん怖い

「きょんさん怖い」という記事を書きました。

yy-world.hatenadiary.com

怖いですよね。きょんさん。

実はこの記事を書いた本当の動機は、きょんさんへの言及だけではありません。

nacoさんという存在についても改めて考えたいと思ったからです。

「このあたりでそろそろ、nacoが怖い」 このサゲを思い付かなければ、私はこの噺でいこうとは思いませんでした。

実は私はきょんさんを語ると同時に、nacoさんについても語りたいと思っていたのでした。

同じ視座だったnaco

nacoさんとの初接触はあまり覚えていません。 ただ、nacoさんによれば「JaSST nano出ちゃいなよ!」と私が誘ったのが始まりだったようです。そうだっけ。

私にとって印象的だったのは「QAなんもわからん会」です。

qananmowakaran.connpass.com

この時、私はあえて「なんかわかるひと」枠でエントリーしました。

当時は「なんもわからん」とまでは思っていませんでしたが、自分の中の「品質とはなにか」「QAとはどうあるべきか」について、言語化しきれずにいました。

 

軽い気持ちでエントリーしたものの、これは私に対するプレッシャーでした。

「なんかわかる人」として参加するからには、自分なりの答えを持っておく必要があると、自分自身を追い込んだことを覚えています。

そこで書いたのが以下の記事です。(当時はnoteでしたが、移植しています)

zenn.dev

当時は慌てて書いたのですが、これは今でも私の基盤となる価値観です。

nacoさんが立てた「なんもわからん会」をきっかけに、私はnacoさんと同じ視座に立ち、自分なりの答えを見つけたのでした。

近くのnaco

nacoによる自己認知の転換

その後、オンラインでカジュアル面談をしたのを覚えています。 その時、nacoさんに「やまずんさんは鋭い人だと思ってたけどそんなに怖くなかった」という旨のことを言われました。

最近ではそういったことをよく言われるようになりましたが、思えばそう言われたのはnacoさんが初めてで、とても新鮮でした。
数十分の会話でしたが、私の表面的なコミュニケーションスタイルだけで判断するのではなく、エンジニアとしての本質を見てもらえた気がしました。

nacoの後釜

やがて私は転職して、nacoさんの後釜とも言えるポジションにつきました。

その会社では、nacoさんが残したドキュメントや積み上げた文化が垣間見えました。 私はそれらを頼りに仕事をしていく中で、いたるところでnacoみを感じるのでした。

スクフェスにもnaco

そういえば、スクラムフェスに現地初参加・初登壇したのも、スクフェス新潟でnacoさんの前でした。そもそもnacoさんは実行委員でしたしね。

新潟ではユニークで楽しい体験がたくさんあり、強く心に残っています。

また、今までオンラインでしか繋がったことのなかったスクラムコミュニティに対して、親近感を持てたきっかけでもありました。

これら4つのエピソードを振り返ると、私のエンジニアとしての岐路には、なぜかいつもnacoさんがいるなぁと思うのです。

遠くのnaco

かつては親近感を持っていたnacoさんですが、気がついたらずいぶん遠くの存在になった気がしています。

QA from 異業種でありながら、色々なコミュニティで存在感を示し、デカルトみやアレグみ、SbEみを出しているnacoさん。

近くに感じていたはずのnacoさんは、もはや自分とは違う高みにいる存在なのではないかと感じています。

nacoさんは私が知らないような知見を持ち、さまざまな新しいことに挑戦しているように見えます。

素直に「すごいな」と思います。そして、キラキラQA仲間として誇らしいです。

そう思うと同時に、「怖いな」とも思うのでした。

まんじゅう怖い

「まんじゅう怖い」って知ってます?

「まんじゅう怖い」とは、本来怖くないものを怖いと言って、それを提供させるという有名な落語です。

「このあたりでそろそろ、お茶が怖い」というのは、「もうまんじゅうは腹一杯だから、口直しのお茶でも飲みたいぜ」という意味です。

「きょんさん怖い」と思っているのも私です。きょんさん怖いですよね。

きょんさんの知識や知見には敵わないと思っているし、きょんさん自身がQAの背景を持っていることから、ひとつのモデルケースとして「憧れ」を持っています。

私は今、nacoさんにも同じ感情を抱いています。 「このあたりでそろそろ、nacoが怖い」のです。

「怖い」の正体

ここでの「怖さ」には二つの意味があります。

ひとつは落語通りの意味。

nacoさんが得た知見や知識、価値観や挑戦を垣間見ることで、私自身もそれを「うまいうまい」と学び、吸収できるかもしれません。

一方で、本当の意味での「怖さ」も感じています。

私はかつて、nacoさんに対して軽いノリで「JaSST nanoに出ちゃいなよ」と言える立場でした。

今はどうでしょうか。 やはり自分のステージとは違う、気軽には声がかけられないような大物になってしまったのでは、という思いがあります。

ここでの「怖さ」は、nacoさんが私に危害を加えるという意味ではありません。

nacoさんと自分を比較することで、自分自身に対して劣等感を抱いてしまうことへの恐怖です。

nacoさんというキラキラした光を見て、自分の暗い影が見えてしまうこと。

これを私は「怖い」と思うのでした。

また夢になるといけねえ

nacoさんがくれたイベントや会社の文化、コミュニティ、様々な知見。

これらは私にとって、芝浜で拾った革財布に思えてきました。
ふらりと気まぐれに出かけた先で出会った思いもよらぬ幸運であり、私を助けてくれる大きな資産となりました。

しかし、その資産にただ甘えてnacoみを消費しているだけでは、いつかしっぺ返しを食らう気がします。
遠くにいってしまうnacoさんを見て、私はいつか誰かからこう言われるかもしれません。
「何言ってるんだい?お前は何もせず酔っ払って寝ていたじゃないか。全部夢だよ」

そうなった自分を思うとゾっとします。
だからこそ私は、高みのnacoさんの背中を見ながらも、恥じない生き方をしようと思っています。

何年か経って、立派なQAになり、その時、私は胸を張って自分の仕事を語れるようになっていたいです。

そのとき、お茶を飲みながら、こんな話をするかもしれないですね。

「やまずんさん、ずいぶん立派になったね。どうだい、一杯」
 そう勧められても、私は慢心を恐れてこう返すかもしれません。 

「よそう。また夢になるといけねえ」