はじめに
QaaSに参加しました。
QA engineer at a Startup vol.17 naco編 - connpass
nacoさんの話が面白かったので、それに対する自分なりの考えを書いてみようと思います。
テストとは
nacoさんにとってのテストは、実施することで構造や理解が深まることだと述べられていました。私はもう少し抽象的な理解をしていて、「目的を持って製品を動かすこと」くらいで考えました。(この定義はコンテキストによって異なります)
テストを単に消化するタスクだと思わずに、目的意識を持って定義されている様子は、後述の「秩序」や「生成」といった概念に紐づくのだと感じました。
秩序と生成と品質文化
nacoさんの発表の中で、「秩序」や「生成」というキーワードがありました。
これについて、私は品質文化という言葉との共通点を見出しました。
それは、、「言語化できないが何かがあるが、それはあるだけでなく、なにかを生成するものである」ということです。これについて想いを馳せる中で、自分は何を求めていたかを自分なりに考えることができました。
生きている状態
私が「品質文化」に求めているのは、「生き生きとした状態」そのものだと感じました。
この「生き生きとした状態』」とは、組織において品質保証への意識や行動が、誰かに言われるまでもなく自然に湧き上がり、深く根ざしている状態を指します。
単なるプロセスやルールを超え、プロダクトに深い質と持続する生命力が宿っている状態です。
この生命力は名前がつけづらいものであり、それが人によっては「文化」という名前をつけるのではないかと思いました。
この視点に立つと、テストという活動は、単なる作業ではなく、『秩序を作るための条件であり、継続的な生成プロセス』であると捉えられるのではないでしょうか。
つまり、テストを継続的に実施し、それを通じてプロダクトの構造や振る舞いを深く理解し続けるという営み自体が、組織内に『生き生きとした品質の空間・文化』育むという考え方です。
センター
「テストをしていれば品質文化だ」と捉える人がいます。そしてそれを否定する人もいます。
私もその派です。テストはあくまで品質保証の活動の一部であり、それらが単独で動いていても組織全体の意識や仕組みが育つわけではないと考えるからです。
しかし、「テストはセンター」だと捉えたら繋がると思いました。
(nacoさんはテストと品質の不可分性を謳っていたので、その点は違うことを言っています)
テストを品質保証全体の核となる活動だと認識して、その品質保証の活動を、チームや人による生命のように捉えると、私の考えていたふわっとした「品質文化」は具体的なイメージとして浮かび上がる気がしました。
これもパターンだと思いたい
私は「テストを中心とした品質保証」は重要だと思いますし、それは有効な手段だと思っています。
一方で、それだけが「生き生きとした状態か」というと答えは出せません。
これはひとつの典型的なパターンであり、他にもパターンは存在しないかと思いました。
私は最近会社で「品質文化」だの「品質意識」というスローガンを言うに留まるのではなく、パターンに基づいた品質保証(マネジメント)という生命を意図的にデザインすることが必要なのだと痛感しています。
nacoは偉大だと思いました。入社してほしいなあ。