私は JaSST nano の第1回に参加し、その後も何度か参加したり、しなかったりしました。
JaSST nano について個人的に考えていることがあるので、それを記述しておきたいと思います。
発表者にとってのJaSST nano
JaSST nano は普段JaSSTに登壇しないような人たちが自分の考えを発表する場だと私は考えています。
何か本を出したりといった実績がない人でも、自分の考えや悩みを発表したり、登壇を通じて自分の考えをまとめたりすることができる場であると思っています。
こういった場があることは、ソフトウェアテスト業界、あるいはソフトウェア開発にとって、とても良いことだと思っています。
私自身、JaSST nanoに登壇したことをきっかけに、自分なりの整理や言語化が進められたという気持ちがあります。
だから、JaSST nano が今後も続き、今まで登壇しなかった人や、これから登壇したいと思っている人たちへ、継続して場を提供していきたいと私は考えています。
テスト業界にとってのJaSST nano
また、私はJaSST nanoでしか発見できないような価値があると考えることもあります。
JaSST nanoは普段JaSSTに登壇しないような人たちが登壇します。
人によってはそれで、優れていないとか、つまらない発表だと思っている人はいます。
それは間違いだと思っています。
JaSSTで登壇する人は素晴らしいです。
基調講演などは数ヶ月前から決まっているようなテーマの話であったり、その中で入念に作り込まれた内容でああります。
一方で、JaSST nanoは、「登壇しよう」と考えてから実際にそれが作られるまで1ヶ月以内に収まるということもあって、その時のリアルな話が聞けるものだと考えています。
私はそれを価値あるものだと考えています。
その時考えたことや、その時出会った疑問、そういったものを語るライブ感というものは、本物の JaSST では体験できないような、その時ならではの語りだと考えています。
地方JaSSTよりもむしろ、その時のトレンドを表しうるものがJaSST nanoだと考えています。
LT であることはまた、それらのいい点を強調していると思っています。
それぞれの人が5分から20分程度で自分が興味のあることや思ったことを話すということは、90分や120分のセッションと比べると、浅いと思う人もいるかもしれません。
一方で、話題やテーマの多様性という点では、JaSST nanoは優れており、柔軟だと私は考えます。
短いセッションの中でどのようにまとめるか、あるいは自分が話したいことを5分で話そうといった気持ちは、エキサイティングで多様性のある場ではないかと私は考えます。
私にとってのJaSST nano
JaSST nanoのテスト業界に対する貢献はあります。
一方で私は、一種のエンタテインメントとしてJaSST nanoを捉えています。
JaSST nano に登壇する多くの人は、本を出していたり、難しい論文を書いているような、いわゆる"立派な人"ではありません。
むしろ、普段の業務の中でリアルな課題に向き合っている等身大の人間であると私は考えています。
そういった人たちの語りは断片的です。
その人がどういった人生で、どのようなバックグラウンドで、どのように考えたのかは、ほとんどの場合その時にしか聞けません。
そういった断片的な語りを聞ける、あるいはそれが残るということに私は価値を感じます。
これらを通じて、等身大のテストエンジニアの生き様や、思いというものが断片的に見えるということだと私は思います。
私はこれにロマンチックな何かを感じています。
例えば、業界にいるような有名な人は、ここ20年の働きぶりというものがスライドやインタビューの形で残っています。
一方で、私も含めたほとんどの一般人は、その人がどのような働き方をしているのか、どのような課題に直面しているのか、どのような悩みを持っているのか、そういったことを全く知ることができません。
彼らが残した動画は、様々なカンファレンスで録画され、飽和したキーノートと違って、再生数で言えば1000にも満たないものになるかもしれません。
ただ、それらの語りがあったという事実は確かに存在します。
それが残り、また、それを見た私自身がそれを認識しています。
そういった悩みや考えがあった、あるいは彼らの人生があったということを断片的に知ることは言葉にするのは難しいです。
ただ、それを大切だと考えてしまうのです。
私は、有名な誰かの言葉だけではなく、一人一人の断片的な言葉や人生が、この世界を作っていると思っています。
そうした一人一人の言葉を伝えて、聞いて、残すこと。
そういった活動に、私は単なる”初心者向けのLT大会”ということ以上に、かけがえなのない価値を感じているのです。